本校の歴史
本校の歴史
本校は、明治41年10月17日、斜内教育所所属頓別第一特別教授所として認可されました。
開校の様子を記したものには、『校地地勢平坦にして砂丘をなし、前面は浩々たるオホーツク海に面し、背後は北見の大河頓別川に臨み、総坪数60坪、校舎56坪、児童数16名なり…。』とあります。
大正元年、斜内教育所から独立して、頓別尋常小学校と校名を改称しました。しかし、『爾来、当部落も原野開発に伴い、ますます発展し戸数三百余、児童数百余名に達し、大正2年7月より二部授業をなすも、教室狭隘を極め…。』となり、大正3年、現頓別小学校位置に新校舎が落成しました。
その後、大正7年新市街(現浜頓別市街)に、浜頓別特別教授所が開校されましたが、『部落ますます発展し、学齢児童も相当多数に上れり、然れども、新旧市街間二十五町余りに亘たり、加うるに道路まだ完全に開通せられず、悪路甚だしく、殊に河川に橋梁なく渡船を以って渡る等、通学の不便甚だし、…。』とあり、大変な苦労があったようです。
この校舎も、大正8年に焼失。大正9年に新校舎が落成し、大正10年浜頓別尋常小学校と校名を改称しました。
大正13年の屋内運動場、昭和28年台風により倒壊した4教室新築、昭和32年屋内運動場、昭和40年屋内運動場増築を経て、昭和55年現校舎が新築され、現在に至っております。(昭和26年の町制施行に伴い、浜頓別町立浜頓別小学校と改称)
平成20年度に創立100周年を迎え、無事式典・祝賀会を終えました。令和4年度までに約5,800名強の卒業生を送り出し、現在社会の第一線で活躍しております。
今後は、組織的な授業改革による「個別最適な学び」と「協働的な学び」の実現、また、コミュニティスクールの機能を発揮した「地域の学校」としての存在感を高め、全ての子ども達に必要な資質能力を育む教育活動を展開すべく、努めていく所存です。